熱海市立図書館の本棚に松本清張『文豪』があった。
「あぁ、これが坪内逍遥の死を揶揄した書か」と手に取った。
松本清張が文豪の通説に挑戦した連作。
冒頭編が坪内逍遥の死の裏に、妻センの存在に言及した『行者逍遥』。
第二編が尾崎紅葉と泉鏡花の子弟確執『葉花星宿』。
第三編が樋口一葉を想う斎藤緑雨の『正太郎の舌』。
小生、松本清張に凝った時期に、こんな絵を描いたことがあった。
『行者神髄』を読み始めると、無理があってまどろっこい。
途中でハタと気付いた。
我が本棚に、津野海太郎の坪内逍遥評伝『滑稽な巨人』があるじゃないかと。
津野書を再読すれば、松本清張『行者神髄』の記述を批判しつつ書き進められていた。
両著を読み比べつつ読み進むと、俄かに面白くなってきた。
清張は逍遥に鬱揚と鬱憂、楽天主義と懐疑主義の波がある。
鬱憂時には悔恨、自己嫌悪、不満、憤りに陥る。
その波の最中に自殺の衝動が爆発して睡眠薬自殺をした。
その裏に妻センの存在があったと記していた。
センは根津遊郭(明治21年に洲崎移転)で二番目に大きな大八幡楼の
売れっ子遊女〝花紫〟だった。
逍遥は明治17年(1884年、23歳)から足かけ3年〝花紫〟に通い続けた。
3年の年季終了時に借財六百円。逍遥が自分の貯金から半額の三百円を、
残りを金策して皆済し、センは行李一つで本郷真砂町の逍遥寄宿者へ入った。
明治18年(1885)『小説神髄』『当世書生気質』発表の翌年にセンと結婚。
清張はセンが我執、競争心、直感力が強い女で、
逍遥の鬱憂にセンの経歴、性格が強く影響していた~と分析する。
津野書は「そんなことはない」と清張記述を一つひとつ否定しつつ
評伝を書き進めている。
清張の物語は、熱海・双柿舎で清張にそう囁く男がいたことから始まる。
男はそれらを裏付ける資料を清張に送って来る展開。
ややして、その男は〝滝子〟と深間で、男はそれら裏話を滝子から聞いていて、
その滝子は〝先生〟から聞いていて、
〝先生=愛人〟が外国から帰ってくることで、男と滝子の関係は消滅で~
まぁ、そんな筋だった。
津野はその〝先生〟は誰か。確証はないがと断りながら~
永井荷風が再婚した新橋芸者・八重次。後の舞踏家・藤蔭静枝が逍遥の
「日本の舞踊を歌舞伎と遊里から解放せよ」のアジテーションに励まされて
創作舞踊を開始したが、その藤枝の若い恋人が当時は慶應大生で、
後の〝先生〟になった「勝本清一郎」らしい~とあり、
あたしは、ここで荷風が出てくるか、と腹を抱えて笑ってしまった。
あたしの記憶は定かじゃないが、音楽系仕事をしていた時に、
コンピュータ音楽・YAS-KAZE作品が、前衛の白塗りダンサー集団「山海塾」
絡み楽曲で、なぜか取材現場が「黒天テント」で、
奥から幕を払ってヌッと現れて、ひと言二言を言い放った
蛸入道みたいな男が津野海太郎だったように覚えている。
今日は再び新宿へ。ロマンスカーの中で尾崎紅葉と泉鏡花の子弟確執
『葉花星宿』を読みましょう。